執筆者である動物写真家&ジャーナリスト・岩井猛氏のご好意により、
月刊“愛犬の友"(誠文堂新光社刊)02年5月号に掲載された記事を転載させていただきました。
なお、一部、本誌掲載時とは表現の異なる部分があることをお断りしておきます。

“愛犬の友”掲載 [シリーズ]人と犬のこれから
国立公園の犬たち入り禁止を考える

取材&文/岩井猛


先月号(02年4月号)で、長野県の1,600m以上の高山帯の環境保全条例問題を取り上げた。その後引き続き、条例案に含まれている”犬禁”規制について、各方面に取材してみたが、マナー違反の問題以外に規制を必要とする確かな根拠はついに分からずじまいだった。少なくとも犬を環境や生態系破壊の犯人に仕立て上げるのは、現段階では相当無理があるといえそうだ。
>> 環境破壊は犬禁の名目?
 その根拠としてまず言えることは、入山するペットとしての犬の数はまだまだ少なく、しかも生態系に影響を与えるほど長い時間居続ける(生息している)存在ではないと言うことが言える。

 犬の入山に関する調査は現在の所、環境省などでは行っていないので全国規模の実態は不明だ。新聞報道に限って言えば、前号で少しだけ触れた立山の雷鳥皮膚病のニュースの場合、昨年、室堂に訪れた観光客が100万人だったのに比べ、そこで確認されたという犬の数は僅か35頭だったと言う。パーセンテージで表せば人間に対しての犬の割合は0.0035%と、実に僅かであることが分かる。

 また、北アルプスや美ヶ原高原を管轄する高山植物保護対策協議会による調査では、同地域に入山した犬連れ登山者は、昨年(度)347人だったという。(信濃毎日新聞)ここ数年急速に増えたとはいうものの、人間の登山客の何十万何百万という数にはほど遠いのが良く分かる。

 山での環境破壊の最大の原因は何だろう?−−それは人間の排泄物だ。自然の浄化作用を遥かに越えた、何十万人もの人間の排泄物が、都市のように下水が完備していない山で繰り返されればどうなるかは自ずと明白だ。それらの実体は信濃毎日新聞のHPで見ることが出来るので、ぜひ目を通していただきたい(*)。立木まで枯れてしまうその無惨な現状は目を覆うばかりのものだ。現在環境省では補助金を出して山小屋などのトイレに浄化槽等を完備させようとしているが、まだまだ解決までには時間の掛かる問題だ。一般に犬の糞は拾う人も多いが、人間の“雉うち”(登山道周辺など屋外での排便)では拾うどころかティッシュ付きで放置されるのが普通。全体としてはごく僅かな犬の糞尿が、人間のそれよりも、環境に対してことさら大きなダメージを与えるというのであれば、規制する側は、確かな根拠に基づいた十分納得できる説明をする必要があるだろう。

 第2の根拠としては、一般的な飼い犬の健康状態の良さがある。これは今や言い尽くされている感があるが『犬は良きパートナー』『犬は大切な家族の一員』など、犬を取り巻く環境の大きな変化と医療の進歩などから、一般的な飼い犬の健康状態が大変良好に保たれているのだ。良く言われる犬禁のもう一つの“根拠”が、不衛生であることと伝染病の危惧だという。庭の片隅に昔ながらの鎖に繋がれた犬でも想像しているのであろうか、関係者の認識の隔たりが残念だ。まして山にまで愛犬を連れていこうとする飼い主の多くは、“パートナー”や”家族”であるという意識が大変強く、室内飼いはもちろんのこと、年一度のワクチンや定期的なシャンプーなど、きわめて健康的で衛生的に愛犬を保ってる。

 前出の雷鳥皮膚病事件では、また犬たちに非難の目が向けられたようだが、原因菌とされたブドウ球菌の一種は、人間の手の皮膚などにごく普通に見られる“通常菌”だとのこと。100万人に対して35頭の犬。ごく普通に考えても原因菌保持者としては0,0035%の犬を犯人とすることに無理はないだろうか。案の定、新聞の本文を読めば、原因として人間や、人間が散らかしたゴミ、里から上がってきたキツネなどの動物、その他、多くの要因が指摘され、決して犬が最重要容疑者のようなニュアンスのものではなかった。しかし見出しにはなぜか“ペットが原因か?”(朝日新聞ネット版の一部)の一文があり不安を
煽っていたのだった。そもそも雷鳥のような貴重な動物を保護するのであれば、犬のみならず人間の立ち入り規制が絶対に必要なはず。犬を連れ込むのも相当非常識であると思うが、そのすぐ近辺にまで観光道路をつけ、営巣地の数百メートルの所まで、ハイヒールを履いたままの観光客が訪れられる現実が大問題なのだ。観光収入や既得権の問題もあろうが、この国は本気で野生動物を守る気があるのだろうか・・。少なくても犬の問題ではないはずだ。

>> 取り返しのつかないマナー違反!
 しかしそうは言っても、実際に犬による被害が出ているのは事実だ。高山植物の踏み荒らしなどは代表的な例だろう。さらに深刻なもので言えば、雷鳥のヒナを追いかけていた犬がいたそうだ。ただその“犯人”がノーリードにされた飼い犬なのか、猟犬などから野犬化したものなのかまでは分からない。はたまた里から上がってきたキツネを犬と見誤ったのかも知れない。

 もしも野犬であれば今回のことと同列で語られるべき事ではないだろうが、飼い犬であれば、高山植物の踏み荒らしなどと同様、明らかに飼い主のマナーの問題になる。そしてこの“マナー問題”こそがすべての犬禁規制問題の本質になっていることに気づかなくてはいけない。

 何度も言うが、生態系を云々するほどの数の犬が入山しているわけでもなく、しかも彼らは、ほんの半日程度を飼い主と共にそこを通過するだけの存在だ。犬による“新たな雑菌”?の侵入などとも良く言われるが、1,000万頭いると言われる犬が、もしもきわめて不衛生な生き物であれば、里はとっくに大パニックを起こしているだろう。しかしデリケートな高山帯などでは僅かな危険性にも注意は払わなくてはいけないのは事実。これに関してはぜひとも早急な調査をして欲しいと願う。

 しかし、それらの危険性を持っているのは何も犬だけではないはずだ。環境破壊の元凶でもある人間についても徹底した調査が必要であろう事はいうまでもないことだ。人間がごく普通に持っている通常菌が雷鳥を皮膚病にさせてしまった今回の事件は、その教訓とも言えるのではないだろうか。犬を入れたくないようなようなスポットであれば人間も入れないくらいの、徹底した実効性のある規制であれば、誰も反対することがないはずだ。

 しかし残念ながら、現在ある犬規制のほとんどが根拠も曖昧で説得力も少ないようだ。それはひとえに事の本質がマナーの問題にあるのに、生態系など、環境の問題にすり替えて、余計に分かりにくくしている現状に他ならないと思う。ただし、ここでのマナー違反は、環境や動物に与える影響は実に大きいはずで到底許せるものではない。マナー違反そのものを規制するような決まり事であれば、それが例え罰則付きの条例であっても、我々は諸手をあげて賛成する。

>> 国立公園“犬禁”の現状
 現在、これらのマナー違反が原因だろうと思われる犬禁規制が、国立公園や国定公園を中心に存在する。愛犬家の方達からの情報を元に、中部山岳地帯に限ってだが、そのいくつかをご紹介しておく。ただし、ハッキリと規制内容が分かっているものもあれば、看板を見かけただけとするものなど、その内容や実態がよく分かっていないものも含まれていることをあらかじめお断りしておく。

●北八ヶ岳 白駒池周辺。麦草峠Pからの入り口に看板があり、犬を入れないよう指導  されているという。

●上高地。上高地内の環境整備をしている「国立公園美化管理財団」によって、リードで繋ぐことが犬と入る条件とされている。しかし実際の現場では、犬は入れないよう に指導を受けることが多いようだ。また指導するのは現地観光業者で、彼らは財団からの委託により「自然公園指導員の補助指導員」という役割を負っているという。

●乗鞍畳平。(長野県と岐阜県の県境)ここも雷鳥の営巣地として有名な所だ。岐阜県  側、乗鞍スカイラインの駐車場では犬を車から降ろすことも禁止されている。しかしこれもあくまでも自粛要請の範囲。反対側である長野県の道路が県道で、事実上無規制であることから、実際の犬連れ客の規制はむずかしいものになっているようだ。ただし、岐阜県側のスカイラインでは、来年からのマイカー規制が決定し、長野側もそれに合わせた規制が検討されていると言うから、かなり改善が期待できそうだ。

●北アルプス・後立山連峰 白馬岳山麓の白馬八方。管理計画によって犬禁規制のエリアがあることが分かっている。

●白山国立公園・同上

 これらの現場で、なぜ犬連れが禁止なのかを問うたときに、その法的根拠として良く出てくる法律に『自然公園法』がある。もしくはもっと簡単に「国立公園だから・・」と言ってくる場合もあるようだ。

 実は私自身も以前、乗鞍高原での取材中に同じ目にあったことがあった。ハイキングコースに差し掛かった我々犬連れの一行に、突然一人の男性が現れて「ここから先は犬は入れない。引き返せ」と言って来たのだった。理由を聞けば「国立公園だからだ」と言う。ペンションやみやげ物屋が立ち並ぶそのあたりが、どうして犬禁なのか、大いに悩んだものだが、そこには“犬立入禁止”の立て看板まであった。看板はどこの誰が立てかの表記もなく、地元の観光協会などにも確認してみたが、全く要領を得ない返事が返って来るばかり、結局泣く泣く引き返したことがあった。直後に調べて分かったことだが、ハイキングコース入り口で飲食店を経営する男性が勝手に看板を立てて、訪れる犬連れ客に対して同じことを行っていた事が分かった。これなどは希な例かも知れないが、こんな“便乗犬禁”までもが出現してしまうほど、犬連れ山登りを疎ましく思う人々が増えていることを知っておいた方がよいだろう。

>> 『自然公園法』本当に犬禁条項はあるのか!?
 さて、では本当に国立公園に犬を入れてはいけないと言う決まりがあるのだろうか?『自然公園法』に犬の立ち入りを規制出来る条文があるのだろうか?この件を環境省自然環境局国立公園課に伺ってみた。

 応対してくださった同課の岡野隆宏さんによれば、条文の中に犬の立ち入りを規制する箇所はどこにもないそうだ。まして「国立公園だから」なんて理由は全くおかしいとのことだ。では、現在実際にある規制については問いには「これらに関してはすべて“お願い”の域を出なく、自粛を要請しているに過ぎません」とのことだった。

 ただし、今後も雷鳥保護のような、どうしても規制が必要なケースの場合、標高などで区切るのではなく、あくまでもスポット的な規制は必要だろうと考えてはいるそうだ。
「国立公園とはその名の通り“公園”であるわけですから、国民の誰もが訪れて楽しめるものでなければいけないと思っています。犬規制なども含めて個人を規制することは、むやみにあってはいけないことなのです」
 また、犬規制など考える場合には十分な調査が必要なのではとの事だった。

 では、犬の入山を規制できる法律は存在しないのだろうか?
「鳥獣保護法があります。実際に適用された例は少ないのですが、近々北海道のシマフクロウに適用される見込みです」「ただし、これは犬だけを規制するものではなく、人間までも含めたものです」
 とのことだ。

 しかし、そうは言いつつ、実際には犬規制がかけられている山はたくさん存在している。国定公園のように県単位の管理で環境省があまり立ち入らないとするものを別にしたとしても、その数は結構なものになっている。なぜなのだろう?実は各国立公園には、それぞれの自然保護管事務所で策定した「管理計画」なるものがあるのだ。(公園の範囲が広い場合はエリア分けされる)実際の策定には地元の市町村長や学識経験者なども交えて作られるといい、それぞれのエリアで運用されている。前述の通り、あくまで“お願い”の域を出るものではないが、“犬禁”には十分な調査が必要と言った言葉とは若干矛盾するのではないだろうか。どうしても地元尊重となるのはやむを得ない事とは思うが、ファジーさゆえの現場の混乱もある。今後は詳細な調査活動の上、環境省としての犬連れ山登りの納得できる指針を、ぜひ示してもらいたいものだ。

>> 愛犬家がなすべき事は・・
 また、愛犬家の側はこの問題をもっと真摯に受け止めなくてはいけない。前号でも少し触れさせていただいたが、インターネットを利用して犬連れ山登りなどの情報交換を行っている愛犬家グループがあるのだが(遊歩会・アソボカイ)今回の長野県条例をきっかけに、特にマナーの啓蒙活動に絞った運動を展開するために準備を始めた。まもなく団体として旗揚げすることになるだろうが、低山も含めた具体的な山登りのマナーを広く提唱していきたいとしている。“犬嫌いな人も納得できる山道のすれ違い方とは?”など、実に具体的な内容のディスカッションが進んでいるようで楽しみだ。これらの輪が大きく広がって、肩身の狭い思いをしないで堂々と愛犬と楽しめる山登りをしたいものだ。